数日後… 最初の兆候が表れたのは清川だった。筋肉痛のようにだるく微熱が下がらない。マニラも世界のトレンドに漏れずコロナが猛威を振るい出していた。マニラ商工会の会頭を務める清川は本来、外出自粛を呼びかけるべき立場であったが3末に本帰国が決まっていた為、送別会と称する飲み会三昧の日々を送っていた。他の東南アジアの国に比べ増加が緩やかだったフィリピンも3月半ばを過ぎた辺りから感染者が爆発的に増え、日本大使館も日本人感染者の会社名を公表することになった。マニラ経済界の重鎮清川は感染の可能性がバレる事を恐れ、震えながら病床に伏せる日々が続いた。「そういえば、秘密でウニちゃん達と濃厚接触したな。でも、体調悪化は黙っておこう。」経済界でのサバイバル術にたけ、清濁合わせ飲む清川は秘密で無邪気に戯れた木島達の健康不安を黙殺する事にした。